今回は、振り返りのときに自分が意識していることを書いていきます。
自分は、なにか改善策を考えるときには以下のことを意識しています。
その問題の原因はコントロールできるものか?
その問題が解決された状態をメンバーが共有できるものか?またそれは測定できるものか?
改善策が、個人の意識任せではなく、仕組みになっているか?
それぞれひとつひとつ説明していきます。
その問題の原因はコントロールできるものか?
なにか問題を解決したいと考えたときに、「なぜその問題が起きてしまうのか?」という原因を考えたり「その問題が起きるとそもそも何が悪いのか?」という別の視点から掘り下げていくことを行なっていくと思います。このとき、自分がよくやってしまうミスとして、自分がコントロールできないことに対して必死に改善策を考えようとして、時間を無駄に費やしてしまうということがありました。
こうしたことを避けるためにも、早い段階で、「これって自分がなんとかできるものなんだっけ?」ということを自分に投げかけて考えてみることが大切だと思います。
その問題が解決された状態をメンバーが共有できるものか?またそれは測定できるものか?
いざ改善策を試してみても、その結果を実感できなければ改善策が効果的だったのか評価することはできません。今まで必ず起きていたものが起こらなくなったなど明らかに実感できる結果であれば良いですが、「以前に比べてよくなった気がする、、、」というような雰囲気で結果を実感するケースもあるかと思います。自分一人であれば主観で結果を判断しても問題は少ないですが、チームの場合主観で物事を評価してしまうと、チームの関係に悪影響がでてしまったり、そもそも評価ができなくなってしまうかもしれません。
そのため、あらかじめチームのメンバーの中で問題が解決された状態をなるべく定量的に決めておき、改善策によってその問題が解決されたかを測定するようにしておくと互いに納得のいく判断ができるのではないかと思います。
改善策が、個人の意識任せではなく、仕組みになっているか?
「~をしっかりやる」とか「~を理解する」とか「~に気をつける」など、個人の意識に任せた改善策を掲げてしまうと、もはや何をいつまでにどうやっておこなえばいいのか、があいまいになってしまい、改善策が形骸化してしまいます。そもそも、人の性格や行動を本人の意志で制御させようとしても、結局本人任せになってしまい、チームとしてコントロールできたり、結果が評価できる改善策ではなくなってしまいます。 仕組みやルールとして改善策を掲げることで、いつどんなときでも改善策に沿った行動を生み出すことができると思います。